世界の沸騰する現場から
日本の未来あんしんを予測する!
お金も、保険も、人生も、
共に夢を叶えるパートナー未来あんしん隊!
佐賀のファイナンシャルプランナーの小柳善寛です。
1981年8月29日YAMAHA主催の「L-Motion」というミュージック・コンテスト
今から33年前むかし、むか〜しの話を少し。
私が高校生のころは友達とバンド活動で流行の音楽を演奏して青春を謳歌していました。
ドラムのカッコよさに憧れドラムセットを買い、名実ともにドラ息子でした。
高3の夏、ヤマハのコンテスト(L-Motion)で見事グランプリを取り九州のコンテストでは
鮮烈なイメージとともに現れ、一斉を風靡した藤井フミヤがひきいる『チェッカーズ』と同じ
コンテストで演奏をしたことも・・・青春の懐かしい思い出となっております。
そのコンテストの3日前に、厳格な父が配達先で心筋梗塞を起こし他界。
自分の人生が大きく変わった瞬間でした。
私のバンド名は「LYNX」リンクスと言う名前でした。
当時は高校3年生。同級生の友人で結成されたのですが、ギター
ボーカル、ベース、キーボード、そして私の担当のどら息子!(笑)ドラムの4人でした。
ドラムをはじめて半年でしたので、めちゃくちゃへたくそでした・・・バンドの練習中に
メンバーから「リズムキープばしてくれ!」と連呼されていたような気がします・・
バンドの名づけのきっかけは私です。スタジオで練習中に私が持ってきた動物のカタチをした
英語の文字付きのビスケットを皆で食べていたときにそのビスケットのパッケージの箱に
LYNX(リンクス)オオヤマネコの文字がみんなの目にとまり「こい!よかやん!」と
いうわけでバンド名がLYNXと決まりました。
80年代のメロディポップスをコンセプトに、佐野元春のコピーとオリジナル曲を作って
いましたね・・・
父が亡くなる一ヶ月前の7月、第8回L-MOTION佐賀大会でグランプリを取ったときも
信じられませんでした。
コンテスト会場は佐賀の市民会館でした。司会から「グランプリはリンクスです!」と呼ばれ
ても、まさか自分たちのバンド名が呼ばれているとは気付かず、会場にいた他のバンドのメン
バーから「おまえたち、呼ばれるよ!」と教えてもらったぐらいでした。その後はバンドのメン
バー全員飛び上がって喜んだのは当たり前なんですが、出場していたほかのバンドの技術、曲
の構成、演奏の完成度が優れているのに・・私たちからすればもっと素晴らしいバンド、個人の
ミュージシャンは沢山いました。
そのコンテストを終えて夜9時ぐらいでいたか・・家に帰りました。
その当時、コンビニエンスストアーのセブンイレブンが、九州では博多に一軒しかないとき、
私の実家は父は脱サラをして、私が小学校1年背のときに雄酒屋を開業して、中学3年生に
なるときには店舗兼用の自宅を新築するぐらい頑張って、父は独学でコンビニの研究をして
当時なかった店内に魚屋を入れた、画期的なコンビニエンスの店を作り上げました。
従業員も数人雇っていましたので経営も大変だったと思います。そんな大変なときに私は父の
手伝いもすることなくバンド活動に明け暮れていました。父は自分にも非常に厳しく、私も悪
い事をしてよく叩かれていました。
その後ろめたさもあってグランプリを取った事を父に言っても、父が喜んでくれるとは思えな
くて、帰りが遅くなって凄く叱られる心配をした記憶があります。
その夜、父は店のレジの所に座っていて父はコンテストがあっていることも知らず、手伝いも
せずに怒られることを覚悟でコンテストがあったことを伝え、グランプリを取った事を話すと
父は以外に涙して喜んでくれて「よっかったな!おめでとう〜」と暖かい激励をしてくれ、
私も父の暖かい心の深さに感動して大泣きした思い出があります。
その翌月の8月26日お昼、父は配達先で急性心筋梗塞で亡くなりました。
その3日後、第8回L-MOTION九州大会が福岡のサンパレスで開催。父が亡くなった事
でバンドのメンバーは私のところに来て出場を諦めて、欠席する事を告げましたが、今まで折角練習
をしてきてコンテストの出場を断念する事もつらい決断でした。
私は、そのコンテストに対するバンドのメンバーの夢を潰したくない想いから、祖父に相談
して葬儀の日程をコンテストと重ならないように日程調整をお願いし、社会的地位がある叔父達も説得
をしてもらい、父の葬儀はそのコンテストの翌日行われました。
ある叔父から「お父さんの葬式の日を変えるとは親不孝やな」と言われました。
コンテストの結果は九州50ぐらいのエントリーのバンド中、優勝は当然チェッカーズ、私達リンクス
は、親戚の叔父や友人や後輩、バンドのファンの応援頂いた方々も会場に駆けつけて頂き、5位という
素晴らしい結果を勝ち取ることが出来ました。
何と言っても、亡き父が見守ってくれたおかげだと思いました。
もし、タイムマシンがあるなら、もう一度時代をさかのぼってやり直したい…。
残念ながら……その当時の写真が一枚も無く探しています。
貴重なチェーッカーズ デビュー前 第8回L-MOTION本選大会の
模様の写真。ほとんど何の写真かわかりませんが・・・

チェーッカーズ デビュー前 第8回L-MOTION本選大会
チェッカーズがメジャーデビューするきっかけとなった1981.8に行われたコンテストの
本選映像です。
原点を見ても素晴らしく完成度の高いバンドだったと改めて実感です♪
Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=rrDezrt3CIc
1974年〜1982年(多分)まで、YAMAHA主催の「L-Motion」というミュージック・コンテスト
が福岡で開催されていました。
意外と思うでしょうが、コンテストのイメージとはかけ離れたような
バンド、モッズ(The Mods)やロッカーズ(Th eRockers)、もっとさかのぼるとサンハウス
も出場した由緒ある大会です。
彼らは、このコンテストで「自分達の実力を試すため」というような生易しい目的なんて
コレッポッチも頭になく、「自分達がNO.1」であることを対バンやファンたちに知らしめ
るために出ていたと思います。
コンテストを通してバンド間の喧嘩をやってるような荒々しい空気を感じるコンテスト
でした。
ところで、大会の説明を少し。
グランプリ大会に出場するまでに、いくつかの関門がありバンド泣かせの大会でもありま
した。
全九州の楽器店別で代表バンドを決めるために音源を募集します。
楽器店毎に推薦できるバンド数が決まっているので、まずそこで篩いにかけられるわけです。
選出されたバンドは地区大会に出場します。
いくつかの楽器店がまとまった単位で開催するため、選出された楽器店が別であっても
地区大会でぶつかってしまいレベルの高い大会では優秀なバンドが落とされるケースがある
かと思えば、逆のケースもあり運命の分かれ目がそこにはありました。
でも、モッズやロッカーズなどはお互いがぶつからないよう連絡を取り合っていたようで、
それぞれが出場するときは、予選会でぶつかるということはありませんでした。
ファンのほうも地区大会の時期は忙しく、1日で何ヶ所かの地区大会の掛け持ちだったり
毎週大会を見るというハードで楽しい時期でもありました。
そして地区大会を勝ち抜いたバンドが出場するのは、九電記念体育館(エアロスミスなどが
コンサートやった場所)→能古島→九州スポーツセンター(ロッド・スチュワートなどが
コンサートをやった場所)というふうにどの回も大人数を収容できる場所でグランプリ大会に
ふさわしい場所だったし、その模様はテレビ中継もされたのでバンド宣伝には恰好の場所でも
あったわけです。
あと、モッズやロッカーズなどがこの大会に出場したのは第2回大会にサンハウスが出場した
ということもあったかもしれません。
あの「サンハウス」も出場した大会ですから、「スタア誕生」に出場するのとはわけが違う
のです。どんなに尖がったバンドであろうとこの大会は別格だったのです。
おかげで、すばらしいバンド達が歴史を残してくれました。
第2回 サンハウス出場/ゲスト:サディステック・ミカ・バンド
第3回 グランプリ:シュールモア、ニュードブ/ゲスト:クリエーション他
第5回 グランプリ:ザ・モッズ、フライングバーズ/ゲスト:
ダウンタウン・ブギウギ・バンド他
第6回 最優秀グランプリ: 国士無双、キャプテンハーロック、
ロッカーズ /グランプリ:人間クラブ 等/ゲスト:シーナ&ザ・ロケット他
第7回 グランプリ: ウインド・ブレイカーズ、ホット・ポイント
第8回 モダンドールズ、 博多パラダイス等出場 /ゲスト:ロッカーズ
もし、タイムマシンがあるなら、
もう一度時代をさかのぼって、
あの時代のあのステージをもう一度見てみたいとです〜
お金も、保険も、人生も、
共に夢を叶えるパートナー
未来あんしい隊
ライフプラン
描けてますか
、
あなたの人生。ご家族の将来。
幸せは、未来を見通すことから。
ライフプランにもとづいて、将来にわたる家計の収支を
シミュレーション。そこから必要な保障を明らかにしていきます。
現在と未来。自分と家族。
夢と現実
日本の未来あんしんを予測する!
お金も、保険も、人生も、
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佐賀のファイナンシャルプランナーの小柳善寛です。
1981年8月29日YAMAHA主催の「L-Motion」というミュージック・コンテスト
今から33年前むかし、むか〜しの話を少し。
私が高校生のころは友達とバンド活動で流行の音楽を演奏して青春を謳歌していました。
ドラムのカッコよさに憧れドラムセットを買い、名実ともにドラ息子でした。
高3の夏、ヤマハのコンテスト(L-Motion)で見事グランプリを取り九州のコンテストでは
鮮烈なイメージとともに現れ、一斉を風靡した藤井フミヤがひきいる『チェッカーズ』と同じ
コンテストで演奏をしたことも・・・青春の懐かしい思い出となっております。
そのコンテストの3日前に、厳格な父が配達先で心筋梗塞を起こし他界。
自分の人生が大きく変わった瞬間でした。
私のバンド名は「LYNX」リンクスと言う名前でした。
当時は高校3年生。同級生の友人で結成されたのですが、ギター
ボーカル、ベース、キーボード、そして私の担当のどら息子!(笑)ドラムの4人でした。
ドラムをはじめて半年でしたので、めちゃくちゃへたくそでした・・・バンドの練習中に
メンバーから「リズムキープばしてくれ!」と連呼されていたような気がします・・
バンドの名づけのきっかけは私です。スタジオで練習中に私が持ってきた動物のカタチをした
英語の文字付きのビスケットを皆で食べていたときにそのビスケットのパッケージの箱に
LYNX(リンクス)オオヤマネコの文字がみんなの目にとまり「こい!よかやん!」と
いうわけでバンド名がLYNXと決まりました。
80年代のメロディポップスをコンセプトに、佐野元春のコピーとオリジナル曲を作って
いましたね・・・
父が亡くなる一ヶ月前の7月、第8回L-MOTION佐賀大会でグランプリを取ったときも
信じられませんでした。
コンテスト会場は佐賀の市民会館でした。司会から「グランプリはリンクスです!」と呼ばれ
ても、まさか自分たちのバンド名が呼ばれているとは気付かず、会場にいた他のバンドのメン
バーから「おまえたち、呼ばれるよ!」と教えてもらったぐらいでした。その後はバンドのメン
バー全員飛び上がって喜んだのは当たり前なんですが、出場していたほかのバンドの技術、曲
の構成、演奏の完成度が優れているのに・・私たちからすればもっと素晴らしいバンド、個人の
ミュージシャンは沢山いました。
そのコンテストを終えて夜9時ぐらいでいたか・・家に帰りました。
その当時、コンビニエンスストアーのセブンイレブンが、九州では博多に一軒しかないとき、
私の実家は父は脱サラをして、私が小学校1年背のときに雄酒屋を開業して、中学3年生に
なるときには店舗兼用の自宅を新築するぐらい頑張って、父は独学でコンビニの研究をして
当時なかった店内に魚屋を入れた、画期的なコンビニエンスの店を作り上げました。
従業員も数人雇っていましたので経営も大変だったと思います。そんな大変なときに私は父の
手伝いもすることなくバンド活動に明け暮れていました。父は自分にも非常に厳しく、私も悪
い事をしてよく叩かれていました。
その後ろめたさもあってグランプリを取った事を父に言っても、父が喜んでくれるとは思えな
くて、帰りが遅くなって凄く叱られる心配をした記憶があります。
その夜、父は店のレジの所に座っていて父はコンテストがあっていることも知らず、手伝いも
せずに怒られることを覚悟でコンテストがあったことを伝え、グランプリを取った事を話すと
父は以外に涙して喜んでくれて「よっかったな!おめでとう〜」と暖かい激励をしてくれ、
私も父の暖かい心の深さに感動して大泣きした思い出があります。
その翌月の8月26日お昼、父は配達先で急性心筋梗塞で亡くなりました。
その3日後、第8回L-MOTION九州大会が福岡のサンパレスで開催。父が亡くなった事
でバンドのメンバーは私のところに来て出場を諦めて、欠席する事を告げましたが、今まで折角練習
をしてきてコンテストの出場を断念する事もつらい決断でした。
私は、そのコンテストに対するバンドのメンバーの夢を潰したくない想いから、祖父に相談
して葬儀の日程をコンテストと重ならないように日程調整をお願いし、社会的地位がある叔父達も説得
をしてもらい、父の葬儀はそのコンテストの翌日行われました。
ある叔父から「お父さんの葬式の日を変えるとは親不孝やな」と言われました。
コンテストの結果は九州50ぐらいのエントリーのバンド中、優勝は当然チェッカーズ、私達リンクス
は、親戚の叔父や友人や後輩、バンドのファンの応援頂いた方々も会場に駆けつけて頂き、5位という
素晴らしい結果を勝ち取ることが出来ました。
何と言っても、亡き父が見守ってくれたおかげだと思いました。
もし、タイムマシンがあるなら、もう一度時代をさかのぼってやり直したい…。
残念ながら……その当時の写真が一枚も無く探しています。
貴重なチェーッカーズ デビュー前 第8回L-MOTION本選大会の
模様の写真。ほとんど何の写真かわかりませんが・・・

チェーッカーズ デビュー前 第8回L-MOTION本選大会
チェッカーズがメジャーデビューするきっかけとなった1981.8に行われたコンテストの
本選映像です。
原点を見ても素晴らしく完成度の高いバンドだったと改めて実感です♪
Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=rrDezrt3CIc

1974年〜1982年(多分)まで、YAMAHA主催の「L-Motion」というミュージック・コンテスト
が福岡で開催されていました。
意外と思うでしょうが、コンテストのイメージとはかけ離れたような
バンド、モッズ(The Mods)やロッカーズ(Th eRockers)、もっとさかのぼるとサンハウス
も出場した由緒ある大会です。
彼らは、このコンテストで「自分達の実力を試すため」というような生易しい目的なんて
コレッポッチも頭になく、「自分達がNO.1」であることを対バンやファンたちに知らしめ
るために出ていたと思います。
コンテストを通してバンド間の喧嘩をやってるような荒々しい空気を感じるコンテスト
でした。
ところで、大会の説明を少し。
グランプリ大会に出場するまでに、いくつかの関門がありバンド泣かせの大会でもありま
した。
全九州の楽器店別で代表バンドを決めるために音源を募集します。
楽器店毎に推薦できるバンド数が決まっているので、まずそこで篩いにかけられるわけです。
選出されたバンドは地区大会に出場します。
いくつかの楽器店がまとまった単位で開催するため、選出された楽器店が別であっても
地区大会でぶつかってしまいレベルの高い大会では優秀なバンドが落とされるケースがある
かと思えば、逆のケースもあり運命の分かれ目がそこにはありました。
でも、モッズやロッカーズなどはお互いがぶつからないよう連絡を取り合っていたようで、
それぞれが出場するときは、予選会でぶつかるということはありませんでした。
ファンのほうも地区大会の時期は忙しく、1日で何ヶ所かの地区大会の掛け持ちだったり
毎週大会を見るというハードで楽しい時期でもありました。
そして地区大会を勝ち抜いたバンドが出場するのは、九電記念体育館(エアロスミスなどが
コンサートやった場所)→能古島→九州スポーツセンター(ロッド・スチュワートなどが
コンサートをやった場所)というふうにどの回も大人数を収容できる場所でグランプリ大会に
ふさわしい場所だったし、その模様はテレビ中継もされたのでバンド宣伝には恰好の場所でも
あったわけです。
あと、モッズやロッカーズなどがこの大会に出場したのは第2回大会にサンハウスが出場した
ということもあったかもしれません。
あの「サンハウス」も出場した大会ですから、「スタア誕生」に出場するのとはわけが違う
のです。どんなに尖がったバンドであろうとこの大会は別格だったのです。
おかげで、すばらしいバンド達が歴史を残してくれました。
第2回 サンハウス出場/ゲスト:サディステック・ミカ・バンド
第3回 グランプリ:シュールモア、ニュードブ/ゲスト:クリエーション他
第5回 グランプリ:ザ・モッズ、フライングバーズ/ゲスト:
ダウンタウン・ブギウギ・バンド他
第6回 最優秀グランプリ: 国士無双、キャプテンハーロック、
ロッカーズ /グランプリ:人間クラブ 等/ゲスト:シーナ&ザ・ロケット他
第7回 グランプリ: ウインド・ブレイカーズ、ホット・ポイント
第8回 モダンドールズ、 博多パラダイス等出場 /ゲスト:ロッカーズ
もし、タイムマシンがあるなら、
もう一度時代をさかのぼって、
あの時代のあのステージをもう一度見てみたいとです〜
お金も、保険も、人生も、
共に夢を叶えるパートナー
未来あんしい隊
ライフプラン
描けてますか
、
あなたの人生。ご家族の将来。
幸せは、未来を見通すことから。
ライフプランにもとづいて、将来にわたる家計の収支を
シミュレーション。そこから必要な保障を明らかにしていきます。
現在と未来。自分と家族。
夢と現実